Quantcast
Channel: かまわぬ女の独り言
Viewing all articles
Browse latest Browse all 30

鎌倉 ちょっと歩いてみた

$
0
0
鎌倉へつくと、お昼ご飯をまず食べようという事になり、それは鎌倉じゃなくて江ノ電に乗っていくところなので、
乗ろうとしたら、家族から歩こうといわれ、ふてくされながら鎌倉駅から歩いていきました。

江ノ電って、家のすれすれをゆったりとまったりと走る電車で、普段鎌倉駅周辺しか行かないので、
乗りたかったんですよ。

江ノ電の線路をたどって、由比ガ浜大通りのだらだらとした坂をのぼっていくと、
六地蔵。
その名の通り、六体の赤いべべ?をつけたお地蔵さんが見えてきます。
ちょうどふたつの道がぶつかるところにあって、すごい目立ちます。

車で通過するんですが、いつも気になっていた場所。
このあたりが刑場だったそうで、その魂を弔うために建てられたそうです。
ぶるぶる。

知らなかった・・というわけで、さらに道を長谷寺に向かって、てくてくと。
住宅街が続きます。ときどき道が無くなりますが、線路を横切って、さらに。

和田家一族滅亡の碑
鎌倉から一番目の駅、和田塚駅の横、公園みたいなところにぽつんと立っていました。

wikiによると、和田合戦という戦で滅亡した和田一族の碑だそうな。

これは鎌倉時代初期の建暦3年(1213年)5月に鎌倉幕府内で起こった有力御家人和田義盛の反乱のことである。

鎌倉幕府創業の功臣であり侍所別当の和田義盛は二代執権北条義時に度重なる挑発を受けて、
姻戚関係にあった横山党や同族の三浦義村と結んで北条氏を打倒するための挙兵をした。
だが、土壇場で三浦義村は北条方に与し、兵力不足のまま和田一族は将軍御所を襲撃し、鎌倉で市街戦を展開する。
合戦は2日間にわたり続くが将軍実朝を擁し、兵力に勝る幕府軍が圧倒し、和田一族は力尽き、義盛は敗死した。


何かの開発で、ここを掘ったらたくさん人骨がでてきたそうで、それでこういう碑が建てられたとか。

鎌倉時代って、本当に血なまぐさいというか、動乱の時代っていうイメージが強いし、
鎌倉の町自体もちょっと湿り気があるというか、何かを感じて、若い頃あまり行かなかったんですよ。

この年になって、花の寺めぐりで今までほんわか観光していましたけど、そうだったわ、、と。

こういうホラー的な話をしてしまい、気分悪くなった方がおられたらすみません。
なので、写真は公開しないことにしました。

ただ車や江ノ電に乗っていたらそのままわからないまま終わってしまうわ。



って思いつつある道を抜けたら…!!!!!!!

ここの家、そしてなぜか軽く人がいて、家を写真撮っているし。

そう、お分かりの方もおられると思いますが、

イメージ 1今年の一月から三月までフジテレビでやっていた「ビブリア古書堂の推理」で使われた
ビブリア古書堂の外観。

勿論店の中は全く違うし、違う職種のお店だったと思いましたが、現在使われていない感じでした。
なんか朽ちた感じですが、よくみつけてきたよなぁと。

このドラマ、その古書堂の雰囲気、鎌倉を美しく撮影、またドラマの軸となる本を毎回興味深く紹介していて
毎週楽しみにしてたんです。

イメージ 2そして、すてきなお屋敷街をちょっと歩いて、この日のお昼。
まつばら庵
ちょっとしたガイドブックには必ず載っているおそば屋さんです。
この前もBSの旅番組で、取り上げられていました。
人気店なのに、今回は全く予約をしていなかったので、覚悟していました。

開店直後でお客さんがほとんど入っているといわれましたが、
1時間ぐらいでご飯を済ませてくれたら、席用意できるといわれて、それでは、と。
私たちもお魚を買っているし、料さないといけないし、ご飯食べ終わったら長谷寺に行きたかったので、
ちょうどよかった。

素敵な古い日本家屋で、しっとりとした気持ちになれます。
テーブルでいただきます。外にも席があってみんなコースをいただいています。
前菜がすてきなんです。

イメージ 3

本当はコースをいただきたかったのですが、早く食べたほうがいいと思い、天せいろを。
地の野菜もあって、おいしくいただきました。

そういった接客もよくて、今度はきちんと予約してコースでいただきたいなと思いました。
こういう演出もあって、お値段は高いかな、まあそういうもんだと思います。

ということで、長谷寺周辺までこのまま歩いて行きましょう。
家族の話によると、すぐだって。本当かな?

Viewing all articles
Browse latest Browse all 30

Trending Articles